東京高等裁判所 昭和26年(ネ)1976号 判決 1953年8月24日
控訴人 原告 窪田雅夫
被控訴人 被告 野口千代
訴訟代理人 工富工
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴人は、原判決を取消す、英国マツキンウエップコンパニー製白金台ダイヤモンド二、九キヤラット(旧カット)サック付指輪一個が控訴人の所有であることを確認する。被控訴人は右指輪を控訴人に引渡すべし、もし引渡すことができなければ被控訴人は控訴人にたいして金四十万円を支払うべし、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とするとの判決並に、前記指輪の引渡及び金銭の支払を命ずる部分について仮執行の宣言を求めると申立て、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張は、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
証拠として、控訴人は甲第一ないし四号証を提出し、原審証人木下純男、同大野正一の各証言、当審証人渡辺縫之助、同大杉京太郎、同木下純男の各証言及び原審並に当審における被控訴人本人尋問の結果を援用し、被控訴人は原審における被控訴人本人尋問の結果を援用し、甲号各証の成立を認めた。
理由
原審証人木下純男の証言及び原審における原告(控訴人)本人尋問の結果によると、
(一) 昭和二十四年八月二、三日ころ、訴外木下純男が控訴人にたいし、英国マッキンウエブコンパニー製白金台ダイヤモンド二、九キヤラット(旧カット)サック付き指輪一個(以下本件指輪という)を示して、これはもと駐在武官として英国にいたある人の持ち帰り品であつて、その人が秘密に金を都合したいということで、知人から頼まれたが、これを担保にとつて金を貸してくれという申込をしたところ、控訴人はこれに応じて同月四、五日ころ、金四十万円を十五日後返済の約束で貸与し、その担保として本件指輪を受取つた。返済期限がすぎても返金がなかつたが同月末から九月はじめの間に、訴外木下純男が、返金できないから本件指輪で代物弁済をしたいと申出でたので控訴人はこれを承諾した、
という事実が認められ、原審及び当審証人木下純男、当審証人大杉京太郎の各証言によると、
(二) 訴外大山庄一もしくはその妻はつえが、訴外大杉京太郎という者に、本件指輪を示して、知人にたのまれたが、金が入用だから、これを売却してもらいたいといつたところ、訴外木下純男がこの話をきいて売却してやろうといつたので、右大杉から右木下へ本件指輪が交付され、木下はこれを控訴人へ担保に入れついで代物弁済として譲渡したのだ。
という事実が認められ、原審における被控訴人本人の供述によると
(三) 被控訴人は、七、八年前に(原審において供述した昭和二十五年六月六日から)夫の母の遺物として本件指輪をもらいうけ、以来所持していたところ、昭和二十四年三月ころ、本件指輪で金融を受けたいと思つて訴外の大津某に話したところ、大津は「その自分の知人の海津という金持があるから、その人に金融をたのむとよい、その人に指輪を見せる必要があるから」といつて本件指輪を被控訴人から受取つて行つたが、そのままになつていたので、大津にさいそくしたところ、「本件指輪を海津のところへ持つて行つたが、金融ができず、海津がその知人に話して金融してもらうといつて、まだ海津が所持している」とのことであつた、その後も金融ができないので、被控訴人は大津にたいして、金融あつせんの依頼をとりやめにして、本件指輪を返してくれとの要求をした、
という事実が認められる。そして海津から大山庄一もしくはその妻はつえへのつづき具合については本件において全く証明がない。
以上認定事実からみると、控訴人が訴外木下純男から本件指輪を貸金の代物弁済として譲受けた当時、木下は本件指輪の所有権を有しなかつたことはいうまでもなく、被控訴人の所有物について被控訴人から順次処分の権限(所有権を移転するという処分の権限)を与えられていたことも認め得ないから、控訴人が本件指輪の所有権を譲受によつて取得する道理はない。
控訴人は、民法第一九二条の適用によつて本件指輪の所有権を取得したと主張する。控訴人の本件指輪の占有取得が同法にいわゆる「平穏且公然」であつたことは前段認定の事実によつて明かであり、当時、控訴人が木下純男に所有権はないが処分の権限は与えられていると信じていたことは、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果によつて認められる。そこで控訴人の主張の立つか立たぬかは、控訴人が右のように信じたことについて無過失であつたかどうかの一点にかかる。
原審及び当審における証人木下純男の証言、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果によると、
(四) 控訴人と訴外木下純男とは、太平洋戦争中に控訴人の家族が長野県の疎開先で知りあつたことから知りあうようになつたもので、終戦後、木下は控訴人が事業上必要な特殊工業用薬品類の買入の世話をしたり、センイ製品主食品その他生活用品の、いわゆるヤミ物資を供給したりしていた男で、時には控訴人から金銭の融通をうけることもあつた。自分では、帝国銀行の嘱託で、その厚生事業に関係していると称していたこと、しかし貴金属宝石などの取引には全く関係のない生活をしていたこと、控訴人は金属材料加工販売を業としており貴金属宝石類の取引には全く関係していなかつたこと、
が認められる。
そうすると、本件指輪の質入代物弁済という取引は、控訴人と木下とが、しばしばくりかえし行つていた取引と全く類を異にしこの当事者双方にとつて珍らしい取引であつたといわなければならない。その当事者の間に日常くりかえし行われている取引の品と同種とか、関連ある種類の品物については、譲渡もしくは質入れをしようとする占有者の権限についてその者のいちおうの説明で満足しても過失ありとすべきでない場合が多いであろうが、当事者双方にとつて取引上珍らしい品である場合には、占有者の権限について、さきの場合にくらべてよりつよい不審の念をおこすのは通常であるから、かような場合には、このよりつよい不審が解けたのは無理もないとみられる資料、合理的に考える能力があり、相当な生活経験ある者でも、このよりつよい不審を解消したであろうとみられる資料をみた上で、なお、権限ありと信じたのでなければ、無過失ということはできない。かように解することは、動産の所有者と、その動産に関する善意取引者との利益の衝突を公平に調節するために相当である。しかるに控訴人は、前記認定(四)に説示のような知合いの木下から、前段認定(一)に説示のとおり、英国に駐在武官をしていた人の持ちかえり品で、その人が秘密に金融を得たいということで、知人から頼まれたという説明をうけただけである。木下はその知人のだれであるかも告げていないのである。戦争による経済的荒廃と占領軍による諸改革による社会的経済的大変革の結果いわゆる斜陽族とか没落階級が生じて、なるべく自分の名を世間に出さないで、金融を得たいと望む人々が少なくなく、もちろん本件取引のあつた昭和二十四年中にも、なおかような秘密金融の需要があつたとみられるとはいえ前示の説明をきいただけで、木下に本件指輪を処分する権限があるということに疑をおこさなかつたことは過失というのほかない。或いは控訴人が当時木下に本件指輪の出所についてさらにくわしく問い質したとしても、木下の入手経路は前認定の(二)のとおりで、同人の知るところもこの範囲を出ないものと推測され、これによつて直ちに木下に処分権のないことがわかるというものでないから五十歩百歩であるというかも知れない。しかし木下の前記(二)のような入手経路の説明によつてもそれ自体木下の処分権についての不審を解消させるものということはできないから、本件において控訴人が木下の前記説明によつて疑をおこさなかつたことを過失とすることに妨げあるものではない。
民法第一九二条の無過失という要件をみたさないこと以上説明のとおりである以上、右法条の適用によつて本件指輪の所有権を取得したとの控訴人の主張は採用することができない。この点において、控訴人の本件請求は理由なきこと、すでに明かであるから、その余の点についての判断をしないで、これを棄却すべきものである。
よつて民事訴訟法第三八四条第一項第八九条第九五条を適用し主文のとおり判決する。
(裁判長判事 藤江忠二郎 判事 原宸 判事 浅沼武)